いらっしゃい、あるく(@arc_imaiki)です
毎日退屈だなー、何か変わったこと起きないかなー?そんなことを考えてませんか?
毎日が煌びやかな特別な日!、そんな日々が欲しいって、思ってませんか?
今日は、「いつもの日常」なんて日は1日たりともない
そんなことを書きたいと思います。
当たり前という誤解
いつものように、朝起きて、朝食を食べて、支度をして、学校や職場へ出掛けていく。
いつもと同じ朝、いつもの日常。
そんな風に思ってませんか?
でも、昨日寝て、今日起きる。
そんなことさえも確約された当たり前じゃないんですよね。
今日起きていることが奇蹟、そこまではなかなか思えなくても、今日も起きれたことは、やっぱり特別なことです。
そんな特別な目覚めから、いつも通りの決まった日常を過ごす、なんて思ってるのは誤解です。
確かな自由がありますよ
朝起きて、ご飯を食べることにする。
そんなこと1つも自分で選んで決めたことです。
いつもと一緒のご飯がイヤなら、許された時間の中で別の料理をする自由だってあります。
あるいは、どうしても気分が乗らなかったら、
朝食を抜く自由もあります。
学校や職場へいくことは決まっていても、
通勤、通学をどう過ごすか、お昼休みに何をするか?
好きな音楽を聴く、友達や同僚とお喋りをする、1人で好きな本を読む、などなど
色んな場面で自由がありますよ。
極論を言ってしまえば、職場や学校へ行かないって選択をする自由だってちゃんとあります。
休めない!、周りに迷惑がかかる!、
そんなことしたらクビになる!そう言うかもしれません。
でも、そういうことも含めて何を選ぶかは自由で、確かに自分で選んでいるんです。
でも、自分で選んでいるはずなのに、
決められてることだって思ってる。
だから、誰かに決められてるような気持ちで過ごして、不自由な気がして、つまらないって感じてる。
そんな思いすら、選んでるのは自分なのに。
かけがえのないものだと気づくのはいつもと違ったときから
いつもの風景、いつもの会話、いつもの暮らし、そういったものが特別な日だったって気づくのは、それが日常とは違ったと感じたときだと思います。
最悪の場合、それを失うまで気づかないこともあります。
いつも隣にいたはずの人がいない、
いつもの景色が欠けて足りなくなる、
いつもの暮らしがおくれなくなる。
そんな、いつもじゃない日があって、
はじめて大切だったって気づきます。
かけがえのないものだった、って気づいてから、大切にしていけることもありますが、
気づくのが遅かったりすると、2度と戻らない場合もあります。
1つ、1つ、と心を込めて向きあう
どんな選択も、間違いなく自分で選んで決めています。
色々な要因があったとしても、周りに説得されたとしても、最後は自分で選んで決めています。
どんな要因があっても、どんな周りの影響があっても、何を選ぶかはいつも自分で、その選択はいつも自由です。
選んだことが本心と違っていたりすると、不自由に感じたり、不満を持ったりするけど、それでも、選ぶこと自体は自由です。
いつも選ぶ自由を持って過ごしています。
いつも自分が決定権を持って過ごしています。
今ある選択の1つ、1つと、ちゃんと向き合って、その気持ちを噛みしめながら過ごしていくことで、同じことなんて何1つない、全ての選択がそのとき限りって思えるようになるかもしれません。
マンネリだって思っている日常も、
1つ、1つ、きちんと心を向けて向き合うと、
本当はかけがえのないものばかりで溢れているかもしれません。
今、あるもの1つ1つと、きちんと心を込めて向き合ってみませんか?
どんな日々だって代わりなんてない、大切な一日なんです。
まとめ
似たように感じたとしても
特別な日々しかありません
大切に過ごしましょう。
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